【講義用資料】ナッジ理論
医師と患者の間で行われる意思決定には様々なバイアスが含まれる
経済学は、個人の選択が合理的に行われることを前提にした学問である。そのため、患者の意思決定が様々なバイアスに曝露されていることを考慮したモデルを想定することにはしばしば課題がある。
バイアスの例
- 損失回避(20の得より、5の損を嫌う
- 現在バイアス(先延ばし
- サンクコストバイアス(今まで頑張ってきたんだから・・・
- 平均への回帰(データが改善された!今の治療法は有効だ!
- ヒューリスティクス(よく分析せずに身近な情報で判断
行動変容へのヒント、「ナッジ理論」
こうした課題に取り組む手法論としてのヒントは、「ナッジ理論」として行動経済学で示されている。
一般的には、人々の選択を合理的に導くためには
- 罰則等のペナルティを課す経済的なインセンティブを付与する(短期的対策)
- 教育・啓発活動によって知識水準を高める(長期的対策)
前者は医療制度における診療報酬改定など、後者は大学などの専門教育などが該当する。診療報酬改定は法律に基づいて行われ、外的な要因によって選択が半強制されるため、合理的な行動変容とは言い難い。教育については長期的な対策であることと同時に、大部分を占める社会人への教育アプローチ(特に患者側)という点では効果は限定的である。
ナッジ理論は、強制ではない。
個人の自由意思に基づく選択をより合理的にするための理論である。ナッジとは「軽く肘でつつく」という和訳があてられる。罰則型の誘導ではなく、社会的提案型を促進する理論である。
たとえばカフェでコーヒーの横にトクホ製品・健康に良い食品を置いて、ジャンクフードを遠ざけるのは、健康を促進するためのナッジである。
しかし、ジャンクフードを店頭から退けてしまうのはナッジではない、強制的に選択可能な環境を排しているからである。
社会保障・医療政策決定者は財源・提供体制の現況、今後の人口変化推計などから日本の医療・介護についてあるべき姿を把握している。しかし、これを実現するには各自治体が自らの意思決定でケアの体制を作る必要があって、これは”ご当地医療”等と呼ばれるように、”まちづくり”に近いものがある。
ナッジを作るのは、行政から自治体へのナッジ、自治体から医療機関へのナッジ、医師ー患者間でのナッジ、様々な次元での開発が必要である。
ナッジデザインのパターン
ナッジを設計するためのパターンにはいくつかの分類がある。
- 本人自身が行動変容を強く願っていて、それを実現させるためのナッジ
- 本人が気づいていないことを気づかせ、行動変容を促すためのナッジ
さらに、行動変容を(1)意識的に行わせるか、(2)無意識的に行わせるかでさらにデザインが変わってくる。
例えば、臓器提供の意思表示率を向上したいと考えた時に、日本で行われているように保険証に記載欄を設けることは、「1、意思表示したいことを強く願っていた」人に対して、(1)意識的に意思表示させる場を作ったナッジとして解釈可能である。
同じ例で言うとフランスは臓器提供について異なるナッジをおいている。日本は意思表示のないものについては「臓器提供の意思がない」という設定しているが、フランスは意思表示がないものについては「意思あり」と設定している。(オプトイン・オプトアウトみたいな関係)このように初期条件を決定することで、無意識的にナッジを行っている。このような初期条件をデフォルト設定という。
それぞれのバイアスを把握することが重要
医療においてより良いナッジ設計を行うためには、まず患者がどういうバイアスを持っているのかを把握する必要がある。意思決定・治療方針を決めるという行為において、どういうバイアスを含んだ決定が行われているのかは個人によって異なるため、その解決のためのナッジもオーダーメイドになる必要がある(理想的には)。
個人を把握することを可能にする仕組みは、大多数意見としてのビッグデータ、AIが推定する回答なのか、標本から取り出した定性的な意見なのか。どちらが正解と現時点では言えないが、エビデンスを少しづつ積み上げて事例を挙げていくことがまずは大切だろうと思う。
参考図書